InterBEE REVIEW2012 (JP)
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77オリンピック 60競技 全種目の魅力をサウンドで引き出す20年にわたり8回のオリンピックのサウンド・デザインを担当沢口:「これまでにどのような経歴をお持ちですか」バクスター:「放送業界のフリーランスエンジニアとして35年ほど従事しています。厳密に言えば、スポーツ放送です。フリーランスとして、世界を舞台として好きな仕事に携わらせてもらっています。特に、オリンピック委員会との仕事は、20年ほど経ちました。 オリンピックプロジェクトでサウンド・デザイナーとしてフルに稼働し始めたのは、アトランタオリンピック(1996年)からで、ソチで9回目となります」沢口:「オリンピックでは、アナログから5.1サラウンドに至るまで多くの経験をお持ちですね。スポーツのサウンドを手がけたきっかけはなんですか」バクスター:「私は、NBCの中継番組のミキサーに従事しており、ソウル(1988年)では、NBC放送の中継を担当していました。次のバルセロナ(1992年)から、新たにマネージング体制・組織が整えられ、フルタイムでオリンピック放送の仕事をしはじめました。その当時、オリンピックの放送を担当していたManolo Romero氏を紹介されたのです。そのとき、これが自分にとって本当にやりたいことなのだと感じました」 「アトランタ(1996年)では、オリンピック委員会が放送を強化し、大勢のビデオやライティング、サウンドなどのスペシャリストを集め、大規模になりました。テレビの視聴者やスポンサー企業も賞賛してくれました。その時の試みが、その後のオリンピック放送の標準となっています」60種類にわたる競技の魅力をサウンドで引き出す沢口:「当初、ご苦労されたのはどんな点でしたか」バクスター:「最初は、中継担当だったために、オリンピックで何をしてよいかよくわかっていませんでした。突然プランナーとなり、オフィスに向かうという行為も大変でした。初めてオリンピックを担当した頃、競技の数の多さに非常に驚きました。60種類もあるのです。まずは、これらの競技を学ばなければなりませんでした。 私は過去のオリンピックのビデオアーカイブを見て、各競技のポイントがどこかを分析しました」 「当初一番チャレンジであり、また重要であったことは、FIFAやFIG(国際体操連盟)など、スポーツ競技の団体と仕事ができたことです。スポーツ競技にはそれぞれ、放送に際しての制限規定が多くあり、個々の競技の撮影には、それぞれの団体の承認が必要でした。例えば、マイクロフォンの装着一つにしても承認が必要です。スポーツ競技団体とよい関係を築くことで、スムーズな承認を得ることができました。私はまず、スポーツ競技団体や放送関係者、現場のオーディオ関係者とよりよい関係を構築することに時間を費やしました」「実は当時、60種類もある競技のほとんどがテレビで放映されていませんでした。また、柔道は日本で、アーチェリーは韓国で、卓球は中国で、というように、 国ごとに特に人気のスポーツがあります。オリンピックは、こうしたスポーツを、より国際的に人気のある競技にしていくためのプレゼンテーションの場であるとも言えるでしょう。サウンド・デザインは、そうした競技の魅力を引き出すための重要な役割をしているのです」 「ロンドン・オリンピックの際、体操の競技団体から、演技の際の各選手のしぐさの音があまりになまなましく多すぎる、というクレームが来ました。しかし私は、視聴者はそれを望んでいると反論しました。視聴者は、家庭内のリビングルーム、キッチン、ベッドルームなどと劇場ではないところで、選手の呼吸を、手で握っている音を、感情を、細かい部分まで知りたいのだと説明したのです。こうしたサウンド表現のための、細かい部分に至る提案が私の仕事です。現場の音を細かい部分まで伝えることができれば、コメンテーターは必要ありません」
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