11月18日~2021年2月26日

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ICT/クロスメディア 2019.06.23 UP

【NEWS】早稲田大学演劇博物館と凸版印刷、4m×17mの「新富座妖怪引幕」を94億画素でデジタル化し、アニメーションとタブレット向けコンテンツを制作 大英博物館「マンガ」展シンポジウムで公開

 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館と凸版印刷は、演劇博物館が所蔵する縦4メートル、 横17メートルの河鍋暁斎(かわなべきょうさい)画「新富座妖怪引幕(しんとみざようかいひきまく 以下、 妖怪引幕)」を高精細にデジタル化し、 そのデータを用いて文化財利活用の共同研究としてデジタルコンテンツを制作した。高精細デジタルカメラを用いて94億画素のデジタルデータ化し、アニメーションとタブレット等で鑑賞するビュワー型コンテンツ化している。

英国で開催の併催シンポジウムでコンテンツが公開

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 5月23日から8月26日まで開催中の大英博物館(英ロンドン)の「The Citi exhibition Manga マンガ」では、実際の妖怪引幕が展示されており、同展示会に連動してジャパン・ハウス ロンドン(外務省がロンドンに設置した日本を総合的に発信する海外拠点)で開催されているシンポジウムで、コンテンツが公開される。

縦4メートル、 横17メートルの巨大な作品

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 妖怪引幕は、 幕末から明治時代の戯作者である仮名垣魯文(かながきろぶん)の依頼で河鍋暁斎が五代目尾上菊五郎や9代目市川団十郎など明治期に活躍した歌舞伎役者を妖怪に見立てて描いた。縦4メートル、 横17メートルの巨大な作品で、凸版印刷が独自の手法で94億画素の高精細デジタルデータを取得し、アニメーションとタブレット等で鑑賞するビュワー型コンテンツを制作した。

描かれた妖怪たちが動き出し、 河鍋暁斎が描いた世界を表現

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 アニメーションでは、 描かれた妖怪たちが動き出し、 河鍋暁斎が描いた世界を表現する。ビュワー型コンテンツは、 拡大・縮小しながら妖怪引幕を細部にわたって鑑賞したり、 妖怪に描かれた歌舞伎役者を写真や役者絵と比較できる。
 演劇博物館と凸版印刷は、今後も高精細アーカイブデータを活用したイベント開催など、 文化財の利活用を進めていくという。

【「妖怪引幕」コンテンツ】

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○94億画素のデジタルアーカイブ
 スタジオ内に特別なセットを設置し、高精細デジタルカメラにより「妖怪引幕」を419分割して撮影。94億画素の高精細デジタルアーカイブを作成した
○アニメーションで世界観を再現
 9代目市川團十郎と5代目尾上菊五郎を先頭に左右に向き合うように描かれている妖怪たちが、 対決する様子をアニメーションで表現。最後に新富座内部を描いた浮世絵と組み合わせることで、 引幕が使用されていた当時の様子を再現するシーンがある。
○タブレット向けビュワー型コンテンツ
 高精細にアーカイブした「妖怪引幕」のデジタルデータをタブレットで操作しながら、 拡大・縮小ができる。妖怪に描かれている歌舞伎俳優を特定し、 その俳優の写真を比較してみることができる。展示状況に合わせて、 実寸大の表示をすることも可能。

【河鍋暁斎筆「新富座妖怪引幕」】

 「新富座妖怪引幕」は、幕末から明治期の戯作者 仮名垣魯文が明治時代前期に東京を代表する劇場であった「新富座」に贈った引幕。 明治13年(1880)6月30日に、魯文の友人である河鍋暁斎が、酒を楽しみながら4時間で書き上げたといわれています。当時の歌舞伎界を代表する9代目市川団十郎や5代目尾上菊五郎をはじめとする人気歌舞伎役者たちをモデルとした妖怪が、葛籠(つづら)からぞろぞろと飛び出して新富座の客席へと繰り出す趣向が描かれている。個性溢れる絵師暁斎の作品として、引幕が保存された稀有な例。

【河鍋暁斎】

 現在の茨城県古河市生まれ、 江戸にて歌川国芳と狩野派に学ぶ。 幕末から明治にかけて浮世絵師、 日本画家として活躍、 書画会での即興的制作から内国勧業博覧会出品「枯木寒鴉図」、 大作「新富座妖怪引幕」まで幅広い作風で人気を博した。


【The Citi exhibition Manga マンガ】

会場:イギリス・大英博物館 セインズベリー・エキシビションズ・ギャラリー
会期:2019年5月23日(木)~8月26日(月)※会期中無休
時間:10:00~17:30(最終入場16:10)※金曜10:00~20:30(最終入場19:10)
料金:大人19.50ポンド、16~18歳16.00ポンド、16歳以下無料
主催:大英博物館
共催:国立新美術館、一般社団法人マンガ・アニメ展示促進機構

【仮名垣魯文】

 江戸京橋に生まれ、 幕末から明治にかけて戯作者・新聞記者として活躍、 明治の世相、 風俗を描いた「西洋道中膝栗毛」「安愚楽鍋」で人気を博し後にジャーナリズムの路へ進み「仮名読新聞」「いろは新聞」を創刊。 明治13年、 挿絵依頼などで親交のあった河鍋暁斎に制作を依頼し新富座に引幕を贈る。

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