Inter BEE 2021

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Industry Curation 2024.12.12 UP

【Inter BEE CURATION】韓国初のノーベル文学賞受賞 「ハンガンシンドローム」

安 暎姫 GALAC

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※INTER BEE CURATIONは様々なメディアとの提携により、Inter BEEボードメンバーが注目すべき記事をセレクトして転載するものです。本記事は、放送批評懇談会発行の月刊誌「GALAC」2024年12月号からの転載です。

アジア女性初の快挙

これまで韓国にとってノーベル賞は手の届かない賞であった。金大中元大統領がノーベル平和賞を受賞したが、正直それは北朝鮮ありきの政治的なことだった。だが今年、韓江という女流作家がノーベル文学賞を獲った。アジア女性で初めて、韓国初の受賞者である。やっと韓国人もノーベル文学賞受賞作をネイティブの言語で読める日が来たのだ。

 受賞発表後からまさに「ハンガンシンドローム」とも言える勢いが続いている。書店にはハン氏の本を買おうと行列ができ、棚に並ぶ暇もなく売れる様子がテレビに映し出された。大型書店のベストセラーは、1位から10位まですべてハン氏の作品(詩や小説)で占められている。

 韓国最大の書店チェーンである教保文庫の調べによると、受賞が発表された10月10日の午後8時から翌日の正午までで、ハン氏の本(翻訳書を含む58作品)は26万部売れたという。直前の3日間に比べ、販売量は910倍増加。同時期にオンラインサイトのイエス24では、27万部が売れ、13日午後2時までに計53万部が売れた。

 中古取引サイトでは、ハン氏の小説が販売価格よりずっと高く売られている。2007年度の散文集『静かに歌う歌』の著者のサイン入り初版本は、70万ウォン(約7万円)の値がついている。また、ハン氏が運営する書店にも行列ができ、本が売り切れる事態になり、当分休業するという紙が貼り出された。母校の延世大学でも祝賀メッセージの横断幕がかかり、彼女の家の前にはお祝いの花が続々と届けられている。

 ハン氏の家族には文人が多い。父親ハン・スンウォン氏は韓国文壇の巨匠で知られる有名な小説家だ。兄も小説家、弟は小説や漫画を描く作家である。元夫も多数の文学賞を受賞した文学評論家である。娘のノーベル賞受賞のニュースが出てから、マスコミに対して淡々とインタビューに答えていた父親のハン・スンウォン氏の作品にも人々は関心を寄せ、彼の小説も飛ぶように売れている。ハン氏があるインタビューで、「父の影響を多く受けた」と答えたため、韓国の教育熱心な親たちは、父としてどんな育て方をしたのかを知りたくて彼の作品に興味を持っている人も多いという。

 ハン氏の一挙手一投足が注目されているが、彼女自身が記者会見はしないと決めているため、以前のインタビュー映像での発言に注目が集まっている。「作品を書くときに聴いた曲のせいで気持ちが高ぶり、タクシーの中で思わず涙を流してしまった」と答えた19年のインタビューにより、再度チャート入りした曲もある。BTSをはじめ芸能人が過去に彼女の本を読んで話した感想までもがネットで再生され、書店関連株がストップ高となり、最高値の記録更新中と、その影響は多大だ。

歴史認識に反発も

こうした「ハンガンシンドローム」に水を差す人たちもいる。いわゆる極右の人たちだ。ハン氏の小説『少年が来る』は、光州事件(韓国では「光州5・18民主化運動」と呼ぶ)、『別れを告げない』は、済州島4・3事件が題材だ。

 光州事件とは、1980年5月18日から27日まで光州市の大学生と一般市民が軍事政権と戦った内戦のような市民運動で、多くの市民が犠牲になった事件だ。地方で行われた大学生たちのデモで、本来なら少し威嚇するだけで済んだかもしれないが、当時の軍事政権はそこに北朝鮮の扇動があると決めつけ、デモ鎮圧に特殊戦司令部空挺部隊というエリート部隊を派遣し、市民に向けて一斉射撃などの残虐行為がなされた。これに憤怒した市民も大学生たちのデモに参加し、武器庫を略奪して応戦を始めたため、内戦状態となったのだ。

 済州島4・3事件は、48年に済州島で起きた島民蜂起に対し、当時の大統領・李承晩支持派が54年までに行った島民虐殺事件をいう。ここでも北朝鮮が関与したと右翼は見ているが、事件の詳細は未解明のままである。

 このように光州事件や済州島4・3事件は悲劇だが、韓国では今でも両事件に対する見方が真っ二つに分かれる。なぜなら真相がいまだに不透明だからだ。極右の人たちは、光州事件は北朝鮮のスパイ(これに前述の金大中が含まれる)が扇動したと信じており、そうでない人たちは純粋に当時の軍事政権に対する民主化運動だとしている。

 国政監査の途中、ハン氏のノーベル賞受賞のニュースを聞いた、共に民主党の議員が「光州事件に北朝鮮が介入しているといまだに考えているのか」と質問したところ、与党議員(右翼)は「北朝鮮軍が介入している可能性はなく、北朝鮮が介入していた可能性はある」と答えた。

 ハン氏が光州事件や済州島4・3事件などについて間違った歴史認識を小説に反映させているので、ノーベル文学賞を受賞すべきではないと主張する小説家もいる。右翼の朴槿恵政権時代には、文学・芸術界のブラックリストにハン氏も入っていたという。ブラックリストに載ると政府の支援を受けられず、検閲なども厳しくなる。それだけ政治的な圧力も受けてきたのだ。

 それでもほとんどの人々は彼女のノーベル文学賞受賞を祝っており、韓国はお祭り騒ぎだ。しかし、ハン氏は「今、戦争中の国もあるので」と、記者会見も固辞した。それだけ痛い思いに共感できる人のように思える。

【ジャーナリストプロフィール】
アン・ヨンヒ 韓国ソウル在住。日韓の会議通訳を務めながら、英語をはじめ8カ国語の国際会議通訳・翻訳会社を経営。『朝日新聞』でのコラム連載を経てウェブ・マガジンの『JBPress』と『フォーブス・ジャパン』で連載中。

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「GALAC」2024年12月号

【表紙/旬の顔】成田 凌
【THE PERSON】高倉天地

【特集1】朝ドラ「虎に翼」が開いた扉

〈座談会〉「虎に翼」はなぜ羽ばたいたのか
 吉田恵里香 × 梛川善郎 × 尾崎裕和 × 石澤かおる

フィクションのための「ファクト」/清永 聡

時代考証家・天野隆子さんに聞く/飯田みか

〈視聴者と「虎に翼」〉
 闘えない人々に光を当てた/田幸和歌子
 見る人それぞれの「私のための物語」/横川良明

朝ドラの現在地と「虎に翼」が紡いだ未来/岡室美奈子

【特集2】パリ2024の光と影

夏季オリンピックを振り返る/山本 浩

パリ発地元放送から見えるもの/脇田泰子

ローカルの視点光る「パリからタダイマ!」/山本夏生

SNSによる誹謗中傷/小林直美

TVerのチャレンジ「配信でスポーツ」/鈴木健司

【連載】
BOOK REVIEW『山田太一戦争シナリオ集 終りに見た街 男たちの旅路スペシャル〈戦場は遙かになりて〉』『なぜBBCだけが伝えられるのか-民意、戦争、王室からジャニーズまで-』
番組制作基礎講座/渡邊 悟
イチオシ!配信コンテンツ/茅原良平
報道番組に喝! NEWS WATCHING/辻 一郎
国際報道CLOSE-UP!/伊藤友治
海外メディア最新事情[ソウル]/安 暎姫
GALAC NEWS/長井展光
TV/RADIO/CM BEST&WORST

【ギャラクシー賞】
テレビ部門
ラジオ部門
CM部門
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マイベストTV賞

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