【コラム】始まったプロダクションワークフローのクラウド化ーーーiPadへの生放送など「非テレビ端末」へのビジネス拡大で加速 

2011.5.23 UP

カイロン社のクラウド・システムの説明に聞き入る来場者
カイロンのクラウドシステムを紹介するウィリアム・ヘンドラー氏

カイロンのクラウドシステムを紹介するウィリアム・ヘンドラー氏

Verizon Digitalのキャサリーン・サリバン氏

Verizon Digitalのキャサリーン・サリバン氏

クラウド編集システムを解説するジョマティン・セベンセン氏

クラウド編集システムを解説するジョマティン・セベンセン氏

■ クラウド・ブームから4年、「コストダウン」と「運用の柔軟化」に期待する米放送業界
 クラウド・ブームが始まって、米国では約4年が経過し、同ブームは情報システムだけでなく、放送業界にも影響を与えている。
 クラウド・システムの真価は、アマゾン・ウェブ・サービシズ社のように巨大データセンターで10万台以上のサーバーを運用するところにある。数百台から数千台程度のサーバーを運用する大企業が、コストダウンを狙ってこうしたクラウド・コンピューティングの部分導入を進めている。

 同じように、デジタル・ベースの制作・配信が一般化した放送業界でも、クラウド・データセンターを利用すれば、コストダウンと運用の柔軟化を実現できるだろう。
 2011年4月、ラスベガスで開催されたNAB Show (全米放送事業者年次総会)では、こうしたクラウド技術を利用した展示を行う企業が見られた。

 カイロン(Chyron)社がフル・クラウド型グラフィック・サービス「Blue Sky」を展示したほか、ノルウェーに本拠を置くクリアザ(CREAZA)社も、クラウド型ビデオ編集システムを発表した。
 また、通信事業者系システム・インテグレーターのベライゾン・ビジネスは、放送局向けのブロードバンド放送サービスを紹介したほか、「Cloud Base Technologies for Broad Caster」や「Content in the Cloud」と題したクラウド・セミナーも開催された。

■ カイロン社のクラウド型字幕グラフィック
 放送局向け字幕・グラフィック機器の大手として知られているカイロン社は、専用に開発した画像処理チップを柱に専用グラフィック機器を製造し、プロダクションやスタジオに売り込んできた。

 ユーザーは、こうしたグラフィック機器を利用するとき、APなど大手のグラフィック・ライブラリーにブロードバンドで接続し、素材となる写真や図柄を取り込む。同社クラウド・システムでは、このオンライン・アクセスを一歩進めて、カイロン社のデータセンターで素材の取り込みから加工処理までをおこない、コストダウンを実現する。

 クラウド製品開発の理由をウィリアム・ヘンドラー(William Hendler)同社マネージャーは「経済環境が厳しい中、従来のコストが高い番組制作機器を放送局向けに提供し続けることは難しい」と説明している。

 開発の発端は、同社が2007年に社内CRM(顧客管理ソフトウェア)をセールスフォース(Salesforce.com) に切り替えた時だった。従来のシステムに比べ、サーバーなどを社内に持つ必要もなく、保守要員もいらないセールスフォースのクラウド・アプリケーションに接し「放送局向け字幕グラフィック機器も将来クラウドになるだろう」と同氏は振り返っている。


■ ベンチャーを買収してクラウド市場に参入
 カイロン社は、クラウド型グラフィックのベンチャー“アクシス・グラフィックス”(AXIS Graphics)社を2008年始めに買収した。これは社内に、クラウド系開発要員がいないため、自主開発が難しいと判断したためだ。

 ただ、買収したAXISシステムは、スケール・アップや信頼性の面で大きな問題を抱えていた。カイロン社は、システムの増設によるスケールアップや予備データセンターによるバックアップ体制を整備する一方、ネットワーク面では最適化技術を導入しファイル転送の効率化をはかった。また、セキュリティーの強化も実施した。2009年、同社はChyron AXISの実験サービスをテレビ局約20社と開始した。

 現在、カイロン社はフル・クラウド型のBlue Skyシリーズと、既存システムも利用するハイブリッド型のBlue Netシリーズという2つの製品群を持っている。後者は、同社の製品を既に利用しているユーザーが、スムーズにクラウド・サービスに移行できることを狙っている。


■ 大きな可能性を秘めた「クラウド型ビデオ編集」
 ノルウェーに本拠を置くクリアザ社は、クラウド型ビデオ編集システム“Creaza Video”をNAB Showで発表した。同プロト・タイプは、ハリウッドの映画スタジオやテレビ制作会社が求める品質や機能とはほど遠く、ホーム・ビデオの編集や企業・学校での簡単なビデオ制作に利用するのが適当だろう。しかし、同社のジョマティン・セベンセン氏(Jostein Svendsen、CEO)は、近い将来テレビ局の番組制作に「十分に使えるレベルを目指す」と述べている。

 クラウド型ポストプロ用編集システムは、大きな可能性を秘めている。ポストプロ用編集システムでは、作業スピードがサーバーや記憶装置の能力に大きく左右される。特に、特殊効果は複雑な画面処理計算を繰り返すため、処理能力が低いシステムでは処理待ち時間が増える。逆に、高い設備をそろえれば、処理速度は速くなるが投資コストがかさむ。
 クラウド型編集システムの基本コンセプトは、データセンターに置かれた編集アプリケーションを、ブロードバンド経由で、複数の編集オペレーターが共有する。1社では、編集アプリケーションに数百台のサーバーを用意することは不可能だが、複数のテレビ局やポスト・プロダクションが共同で利用するクラウド型編集システムであれば可能だ。

 クラウド・データ・センターの大型サーバー群を活用すれば、複雑な特殊効果も大幅な時間短縮ができる。前述のセベンセンCEOも、クラウド編集の特徴を「リアルタイムの処理能力だ」と述べている。しかも、テレビ局やポスト・プロダクションは、使った時間だけ費用を払えば良く、大きなコスト・カットが可能だ。
 また、どこからでもアクセスして編集作業ができるため、大規模イベント時だけシステムを拡充するなど、様々な点で柔軟度が高くなる。将来、こうしたクラウド型編集サービスが普及すると、大手放送機器メーカーは厳しい淘汰に直面することになるだろう。


■ ストリーミング放送の代行を狙うベライゾン
 ベライゾン・ビジネスのメディア部門「Verizon Digital Media Services(VDMS)」は、NAB Showでデジタル・コンテンツ配信サービスを発表している。

 従来、大手放送機器メーカーは、パソコンや携帯電話などのデジタル配信を含めた多角的制作フローシステムを提供してきた。一方、大手ネットワーク事業者は、局やポスト・プロダクション向けデジタル回線サービスを提供している。また、コンテンツ・デリバリー・ネットワーク事業者は、デジタル・コンテンツの配信だけをサービスとして提供してきた。

 VDMSが発表したデジタル配信サービスは、パソコンや携帯電話向け総合マネージメント・サービスとなっている。番組の蓄積、パッケージ化、暗号化、電子著作管理、広告挿入、大規模配信、ネットワーク監視などをすべてまとめているため、一般放送局は同社のサービスを使って各種モバイル・ディバイスへの配信を簡単に実現できる。これもクラウド・サービスの一種といえる。


■ iPad向けに生放送番組配信「モバイル端末は放送の大きな将来市場」
 同社のこうしたサービスに注目が集まるのは、米国でアップルiPad向け番組配信が動き始めたためだ。2011年3月15日、タイム・ワーナー・ケーブル(Time Warner Cable)が発表したiPad用アプリ“TWCableTV app”はiPad向け生放送を実現したことで大きな注目をあびた。もちろん、「同社が提供しているブロードバンド(RoadrunnerおよびEarthlink Cable Internet)を利用する」「視聴は家庭内だけ」という制限があるにせよ、同アプリによってテレビ以外のモバイル端末への配信が大きな将来市場として浮上している。

 連続番組や映画などは、オンデマンド番組でかまわないが、スポーツ中継やコンサートなどは生放送でなければ価値が半減ずる。従来のモバイル端末向けサービスは、オン・ディマンド・ビデオに限定されてきた。CATVで流れている番組(生放送)をそのまま視聴できるTWCableTV appは、大きな進歩といえる。


■ iPadで300chの生番組+2,000本以上のVOD番組も
 タイム・ワーナー・ケーブルにつづいて、2011年4月からケーブルビジョン(Cablevision Systems)社もiPad用配信アプリ“Optimum app”を開始した。同社はニューヨーク市などでCATVを展開する中堅ケーブルテレビ事業者で、同iPadアプリでは生番組300チャンネルのほか、2,000本以上のオンデマンド番組が視聴できる。これはSTBを使ってみる同社の番組内容とほとんど変わらない。もちろん、録画予約操作や番組検索機能も搭載している。

 ただ、フォックス(Fox)、ディスカバリー(Discovery)、バイアコム(Viacom)は、配信契約違反としてタイム・ワーナー・ケーブルにiPad配信停止を求めた。フォックスは米4大TVネットワークのひとつ、ディスカバリーはCATV向け番組供給会社の最大手として知られている。現在、タイム・ワーナー・ケーブルとバイアコムは連邦地裁を舞台に、iPad番組配信の是非を戦っている。

 とはいえ、iPadアプリはユーザーから、高い人気を集めている。タイム・ワーナー・ケーブルのアプリは、最初の1ヶ月でダウンロード数が36万件に達し、ケーブルビジョンも最初の1週間で5万件を超え「同週で、もっとも人気を集めたアプリ」に選ばれている。


■ 「非テレビ端末」へのビジネス拡大がクラウドの活用を促進
 大手番組プロダクションの反対はあるが、CATV業界はiPad配信に期待感を高めている。これは、大手プロダクションがHulu.comなどでブロードバンド配信を展開しており、これがCATVやIPTV、衛星TV放送に悪影響を与えると考えているためだ。iPadなどのタブレット向け配信をCATV事業者も提供しなければならないとの考えは、こうしたプロダクションの中抜きビジネスとの競争があるためだ。

 こうした有料ビデオ・サービスの動きに対応し、地上波TV放送もiPad配信など非テレビ端末への配信を求められることになるだろう。第4世代無線ブロードバンド(LTE)サービスを展開していることもあり、ベライゾン・ビジネスは、こうした業界の動きを背景に、デジタル・コンテンツ配信サービスの営業を開始したといえるだろう。

◇◇◇

 クラウド技術を利用すれば、放送業界も制作面や配信面でコストダウンが実現できる。広告収入の減少と制作コストの高騰に悩む米放送業界が、こうしたクラウド・プロダクションの導入に動くのは間近と予想されている。
(ITジャーナリスト 小池良次 http://www.ryojikoike.com/)

カイロンのクラウドシステムを紹介するウィリアム・ヘンドラー氏

カイロンのクラウドシステムを紹介するウィリアム・ヘンドラー氏

Verizon Digitalのキャサリーン・サリバン氏

Verizon Digitalのキャサリーン・サリバン氏

クラウド編集システムを解説するジョマティン・セベンセン氏

クラウド編集システムを解説するジョマティン・セベンセン氏

#interbee2019

  • Twetter
  • Facebook
  • Instagram
  • Youtube