【映像クリエイター】フリーカメラマン ミヒャエル・パウル・ナウロート氏

2009.8.4 UP

■「日本で仕事をしてみたい」ドイツから単身日本へ
 ドイツ出身のフリーカメラマンにして専門学校講師であるミヒャエル氏は、映画やCMのムービー撮影の仕事を中心に、それに関連するスチール撮影も行っている。日本に来たのは10年前。幕張メッセで開催されたモーターショー撮影でのことだったという。初めて見る日本に興味と憧れを持った。
 「その時は仕事がありましたので幕張メッセの周辺を見ただけでしたが、もっと日本をよく知りたいと思いました。そして何度も日本を訪れ、日本人の優しさにふれるうちに、だんだん日本にいる時間が長くなり、7~8年ほど前から日本に住むようになりました」
 ミヒャエル氏がカメラマンの仕事を始めたのは今から20年ほど前、ドイツにいた頃のことだ。ドキュメンタリーやドラマなどテレビ番組の撮影と、各種CMの撮影を行っていた。「ムービー撮影の仕事については、ドイツにいた頃と大きな違いはないですね。最近は日本の仕事が中心になっていて、日本を拠点にヨーロッパの仕事も請けるという感じです。もとはムービー撮影専門でしたが、ずっとプライベートで撮ってきたスチール(写真)も、5年くらい前から仕事として請けるようになりました。専門学校の講師になったのもこの頃で、映像業界の知り合いから誘われたのがきっかけでした」。

■ドイツと日本、制作現場にあった壁
 ここ3年では、『クールガールズ』や『ザ・ハマー』などの映画の撮影も日本で手掛けるようになり、今年は新作となる『バタフライ』を撮影した。活動の幅をますます広げていくミヒャエル氏だが、ドイツと日本の制作現場の違いで苦労した点はあったのだろうか。
 「最初は日本語でのコミュニケーションに苦労しました。当時、日本の制作現場では英語を使う人も少なかったですし、まず言葉を覚えるところから始めましたね。仕事で出会った日本の方に日本語を教えてもらいました。また、撮影の体制が違っていることもありました。ドイツなど他の国では“DOPシステム(撮影監督システム)”といって、カメラマンが撮影から照明まで映像を全体的に担当する方法が主流ですが、日本の場合は特殊で、撮影担当と照明担当にスタッフが分かれていることが多いのです。初めはそれを知らなくて、自分の日本語力不足のせいではないかと悩んだこともありました」。

■自分を必要としてくれる人たちのためにも、この国で働きたい
 国際的な違いや苦労も乗り越えてきたミヒャエル氏。ドイツにいた頃から既にプロカメラマンとして活躍していた彼が、日本で仕事を続ける理由とは何か。
 「私は現在の仕事を気に入っています。映画やスチール撮影、そして専門学校で教える仕事などは日本に来てから始めたものですし、そういう活動の場を私のために用意していただけることにも感謝しています。ヨーロッパの仕事を請けると2~3週間も海外へ行くことになり、それが頻繁になると日本での仕事ができなくなります。今は日本に家族もいますし、私を必要としてくれる生徒さんもいますので、この国を拠点にずっと仕事を続けていきたいと考えています」。
 自分が教えた卒業生たちの活躍を見るのが何よりの楽しみだ、と話すミヒャエル氏には夢がある。「学校では作品を実際につくるカリキュラムを組んでいて、私は国際的な制作手法を取り入れた実践的な技術指導を行っています。いつか彼らと一緒に、仕事として世界に通用する作品づくりができたらいいですね」。

【連絡先】
ミヒャエル・パウル・ナウロート
tokyo3thousand1@yahoo.co.jp

#interbee2019

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