【インタビュー】映画『アメイジング・スパイダーマン』VFXスーパーバイザー ジェローム・チェン氏インタビュー(2)VFX技術の粋を集めた人体とクリーチャーの両特性を備えたリザードの表現
2012.7.6 UP
(写真2)ジェローム・チェン氏
(写真3)人と爬虫類の特徴が交互に頻繁に現れるコナーズ博士
(写真4)自らを実験台として研究を進めるカート・コナーズ博士
(写真5)困難を極めたリザードの皮膚表現
■爬虫類と人間の両方の特性を交互に表現
スパイダーマンと同様にディテールが重要視されたのは、本作品におけるスパイダーマンの敵にあたるリザードというCGキャラクターだった。カート・コナーズ博士の分身にあたるリザードは、長い尻尾と強靭な筋肉を武器にスパイダーマンに立ち向かう大きなトカゲのようなクリーチャーだ。スパイダーマンの場合と同様に、そのディテールの追求においては、しっかりとした内部構造を与え、この内部構造に対する高度なシミュレーションを駆使するという方法論がとられた。
ただし、リザードは人間としての真実味と爬虫類としての真実味の両者を兼ね備えている必要があり、このようにまったく異なった肉体の物理的特性を交互に、しかも頻繁に表現しなければならない。そのため、シミュレーションの複雑さは、スパイダーマンに駆使されたシミュレーションのレベルを大きく上回ることになったのだった。
■皮膚の表現がリアリズムの鍵 インドネシアのトカゲを参照
前述したように、スパイダーマンの場合には最終的なディテールの見え方は“コスチューム”に集約されていたのだが、リザードの場合には、“皮膚“のリアリズムがディテールの見え方の鍵となると判断された。そしてこのリアリズムをつくりだすためには、何層にも重なった大きな筋肉とその上をルーズに覆う皮膚という肉体の構造が設定された。
ディテールの動きのメカニズムは、筋肉シミュレーションと、そのシミュレーション結果を受け継いたスキン・シミュレーションによってつくりだされた。インドネシアに生息する世界最大のトカゲのリファレンス映像を十分に研究して、肉体の内部構造やシミュレーションのダイナミクスが決定されたのだそうだ。
■皮膚の下の光の散乱を表現するサブサーフェース・スキャタリングを駆使
質感に関しても、スパイダーマンの場合にはコスチュームの表面と光との干渉が考慮されていただけであったのに対して、リザードの場合には皮膚の表面と光の干渉だけではなく皮下の複数の層の内部での光の散乱も考慮された。
リザードのオーガニックな皮膚の質感をつくりだす上では、このような光の内部散乱(サブサーフェース・スキャタリング)の効果が不可欠であったからだ。本作品のレンダリングに用いられたレイトレーサーArnoldは、2002年のシーグラフで発表された論文をベースにしたサブサーフェース・スキャンタリングのアルゴリズムを保持しており、今回はこのアルゴリズムにもとづいたサブサーフェース・スキャンタリング機能が積極的に活用された。しかし、上記のアルゴリズムは複数層に渡るサブサーフェース・スキャタリングには対応していない。
そこで、イメージワークス社はArnoldのサブサーフェース・スキャタリング機能を用いてそれぞれの層内でのサブサーフェース・スキャタリングの効果をまず算出し、これらを独自のアルゴリズムで統合することによって複数の層全体に渡るサブサーフェース・スキャタリングの効果を算出するという方法をとった。
この統合のプロセスでは、各層に対する物理パラメーターの設定が鍵となっており、手書きのテクスチャ・マップを用いてアーティストがこのような設定のディテールを直感的にコントロールできるように工夫されていたそうだ。
■人から爬虫類へ、変貌の工程を考慮した皮膚構造
上記のように皮膚の内部が複数の層に分けられていたことは、リザードが爬虫類から人間へ(もしくは人間から爬虫類へ)と変貌してゆく工程をつくりだす上で真価を発揮したといえる。この工程は、本作品で駆使されたあらゆるシミュレーションの中でも最も複雑さを際めたものといえるのだが、その複雑さを複数の層にうまく分配することによって、シミュレーションの計算やコントロールの負荷を遥かに軽くし、納得のゆく見え方が完成するまで何度もシミュレーションを繰り返すことができたのだ。
たとえば、爬虫類から人間に変貌する工程では、爬虫類らしい皮膚の表面が破れてそこから人間らしい皮膚が現れる。ここではまずHoudini上で作成したプロジージャルなツールを用いて皮膚の内部の上層部から下層部に向かって紙を裂くように亀裂を生じさせる。
このプロシージャルなツールは、皮膚の内部の亀裂から破片を生成する一方で、皮膚の表面にあたるサーフェースの変形と分裂を引き起こす。サーフェースの変形および分裂はMayaのnClothというクロス・シミュレーションのソルバーを用いて行われ、上記のプロジージャルなツールはこのクロス・シミュレーションのアトリビュート(物理パラメーター)を決定する役割も果たしていたのだ。
皮膚の内部の亀裂から発生した破片に関しては、近傍の破片同士が寄り集まって特定の厚みのある層を形成する。これによって激しく上下に震動する幾重にも重なった層が生成され、皮膚の表面にあたるサーフェースが分裂すると、これらの層は分裂部分から次々に皮膚の外部に姿を現す。いったん皮膚の外部に出ると、これらの層はクロス・シミュレーションに従って弾性のある動きをするようになり、やがてこれらの層の重なりが人間の皮膚らしい見え方に収束してゆく。層を形成しなかった破片には、Houdiniのシミュレーション機能を用いて霧のように細かく空中に散ってゆく動きが与えられ、これによって皮膚の表層部の組織が乾いて皮膚から剥がれて落ちてゆく様子を表現することができたという。
■プロジェクト最大の技術的難関、皮膚表現のシェーダー作成
爬虫類らしい皮膚の見え方から人間の皮膚らしい見え方への変化をつかさどるもう一つの重要な技術はシェーダー(色や質感を計算するソフトウエア)で、上記のHoudini上のプロシージャルなツールはこのシェーダーのアトリビュート(物理パラメーター)を決定する役割も果たしていた。
皮膚の内部に新たな層が生成されるたびにその層に適用されるシェーダーのアトリビュートが決定され、このアトリビュートを用いてシェーダーが算出したサブサーフェース・スキャタリングの効果をベースにして、各層が爬虫類の湿った皮膚の質感から人間の皮膚のより乾燥した質感へと変化してゆく様子が算出されたのだそうだ。
このように文章で記述すると比較的シンプルに感じられるが、実際のところこのシェーダーの作成は、本プロジェクト最大の技術的難関の一つであったとチェン氏は語っている。皮膚の質感のディテールを物理的に正確に表現するためには皮膚上の位置の変化による質感の微妙な変化も考慮する必要があり、さらに今回は時間の経過に従う質感の変化も計算しなくてはならなかったからだ。
R&D部門も巻き込んでこのシェーダーの開発作業には数ヶ月が費やされたそうだが、その結果つくりだされたリザードの皮膚のリアルな見え方には監督も大満足であったという。
■求められたのはRED EPICでの撮影映像になじむリアルなCG
ディテールの追求というコンセプトは、上記のようなCGキャラクターのみならず、彼らを取り囲むCG環境の作成にも反映されていた。とりわけ今回はロケやセットの撮影においてRED EPICの最新バージョンが用いられただけに、これらの撮影画像と見境のつかないリアリズムをCG環境に与えるという意味でもそれは不可欠だったのだ。
代表的なものとして、映画のクライマックスに登場する2種類のフルCGの環境が挙げられる。一つ目はオズコープ・タワー(Oscorp Tower)に通じるNYセブンスアベニュー(Seventh Avenue)の光景、もう一つはオズコープ・タワーの屋上の光景だ。
スパイダーマンはセブンスアベニューのビルの渓谷をスウィングしてオズコープ・タワーの屋上の降り立ち、そこでリザードとの最後の戦いが繰り広げられる。非常に激しいカメラワークゆえに、これらの環境をCGで作成するという選択がなされたのだそうだ。
セブンスアベニューの光景では、何ダースもの複雑な形状のビル、何百という数の車や歩行者が、そのディテールにいたるまで実にフォトリアルに復元された。ビルに関していえば、室内のテレビモニターのフリッカリングまでが丹念に描かれている。
オズコープ・タワー屋上の背景の作成では、実際にマンハッタンのビルの屋上に上ってビルの周りに広がる環境を高解像度で撮影した画像を立体的にタイル状につなぎ合わせ、さらにCGスチームなどのボリュームメトリックなエフェクトが加えられた。このようなエフェクトは、シーンの臨場感を盛り上げるのみならず、立体3D上映で必要とされるデプスやスケール感の真実味を向上させる役割も果たしていたようだ。
■スフェロン社のHDRカメラを駆使したイメージベースト・ライティング
ライティングのリアリズムも重要で、セット撮影やロケ撮影の現場ではスフェロン社のHDRカメラを用いて背景のHDR画像が数多く採取され、これらのHDR画像がイメージベースト・ライティングに活用された。いうまでもなくレンダリングはすべてレイトレーシング(Arnold)によって行われており、ここでもこれまで以上に物理的に正確なシェーダーの数々が開発されて用いられたそうだ。
上記の“最後の戦い”でも用いられているように、ここぞというシーンで立体3Dならではのインパクトをつくりだすのに欠かせないのがボリューム・メトリックなエフェクトだ。そして『アメイジング・スパイダーマン』ではこの局面においても、そのディテールのリアリズムを大きく向上させる技術開発がおこなわれた。
前回紹介したように、イメージワークス社はMIB3のプロジェクトにおいて、レンダリングのパイプラインを統合して作業の効率化をはかるために、自社製のボリュームレンダラーArnoldに統合したのだが、今回なこのように統合されたボリュームレンダリング機能そのものにも大きな改善が施された。従来のボリュームレンダリングでは主にボクセル単位で計算をおこなっていたのだが、この改善によってボリュームを構成する水や塵などの粒子と光との干渉を物理的に正確にシミュレートできるようになったのだ。
当然のことながらこのようなシミュレーション的計算の負荷は重いので、ボリューム・サンプリングの新しいアルゴリズムを導入するなど、計算効率を上げるためのさまざまな工夫も加えられた。
そしてこの新たなボリュームレンダリングの手法がもっとも効力を発揮したのが、スパイダーマンがリザード攻撃能力を低下させるために液体窒素を用いるシーンだった。窒素ガスがダイナミックにリザードに襲い掛かるこのシーンは、本作品におけるボリュームメトリックなシーンのハイライトともいえ、Houdini上で複雑な流体シミュレーションを駆使したうえで、上記の新たなボリュームレンダリングの技法を用いてレンダリングがおこなわれた。一フレームあたりのレンダリング時間が100時間を越えることもあったそうだが、レンダリング結果のリアリズムはそのディテールにいたるまで実に満足度の高いものであったそうだ。
立体3Dの浸透に伴って、映画VFXにおいてそのディテールを重視する傾向が強まってきていることは、これまでの映画記事でも紹介してきたとおりだ。しかし、『アメイジング・スパイダーマン』における徹底したディテールへのこだわりは、そういった過去のケースとは明らかに一線を画していた。また、これまでディテールの作成に関してはどちらかというとアーティストの手作業に依存する傾向が強かったが、今回のプロジェクトではプロシージャルなツールなシミュレーション技術をこの未踏の地に踏み入れること可能にした。
新生スパイダーマン・シリーズの第一作にかけたイメージワークス社のチャレンジ精神は、観客の心を鷲づかみにする映像の魅力をつくりだすと同時に、映画VFXにおける技術的ハードルのバーをさらに一段階引き上げることにも成功したといえよう。
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『アメイジング・スパイダーマン』
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
TOHOシネマズ日劇ほか全国絶賛公開中
(c) 2012 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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(写真説明)
写真1 映画「アメイジング・スパイダーマン」より
写真2 Sony Pictures Imageworks のジェローム・チェン氏(Jerome Chen)。映画「アメイジング・スパイダーマン」のVFX Supervisorを務めた
写真3、4
カート・コナーズ博士の分身にあたるリザードは、人間と爬虫類の両者の特徴を兼ね備えたハイブリッド・キャラクターだ。筋肉隆々とした身体と大きな尻尾を武器に戦う様子は、インドネシアに生息する世界最大のトカゲ(Komodo Dragon)のリファレンス映像がベースになったという。リザードの顔の動きがコナーズ博士の表情を受け継いでいることも重要な要素であったが、リザードの顔の構造と人間の顔の構造は大きく違っていたため、リザードの顔のアニメーションは、エモーション・キャプチャーのような手法は用いずに、コナーズ博士を演じたリース・イーヴァンズのビデオ映像を参照して、キーフレーム・アニメーションのみによって作成されたそうだ。
写真5
スパイダーマン同様にリザードに関しても、そのディテールの表現が非常に重要視された。肉体の動きのディテールは、筋肉シミュレーションとそのシミュレーション結果を読み取って実行されたスキン・シミュレーションによってつくりだされた。そして、なにより力が入れられたのは皮膚の質感の表現で、皮膚のあらゆるディテールにいたるまでオーガニックでフォトリアルな質感をつくりだすためには、サブサーフェース・スキャンタリングの効果をはじめとした物理的に正確なシェーター (Open Shading Languageを用いて記述されたレイトレーサーArnold用のシェーダー)の数々が、数ヶ月以上を費やして新たに作成されたそうだ。
(倉地紀子)
(この項終わり)
(写真2)ジェローム・チェン氏
(写真3)人と爬虫類の特徴が交互に頻繁に現れるコナーズ博士
(写真4)自らを実験台として研究を進めるカート・コナーズ博士
(写真5)困難を極めたリザードの皮膚表現