日本が激しく遅れていること、それでもまだ間に合うこと〜「ネットフリックスvsディズニー」大原通郎著
メディアコンサルタント/境 治 テレビとネットの横断業界誌MediaBorder
元TBSのメディア研究者・大原通郎氏の新著「ネットフリックスvsディズニー ストリーミングで変わるメディア勢力図」は、想像していた構成の書籍だったが、中身は想像を超えたエキサイティングなものだった。
世界はストリーミングファーストへ
この本ではタイトル通り、まずネットフリックスとディズニーの対決が描かれる。この辺りは、メディアの最新動向を追っている人には目新しい部分はあまりない。それでもネットフリックスの制作部門の責任者、テッド・サランドスの出自や彼の義父が著名人であることは知らなかったし、ディズニーを建て直したロバート・アイガーの成し遂げたことをあらためておさらいできたなど、この部分だけでももちろん読み応えがある。
ただこの2社以外のことも克明にレポートしていることにこそ、この本の価値の大きさがあると私は感じた。語られることの多いネットフリックスとディズニー以外のバイアコム、ワーナー、コムキャストといったアメリカのメディアコングロマリットについても、これまでの歩みから最新動向までを書き込んである。2020年の動きまでちゃんと入っているので、アメリカのメディア状況が現在進行形でよくわかるのだ。
そして、痛感させられる。世界のメディアは明確に「ストリーミングファースト」に向かっているのだ。「それはそうだよ」とか「日本だってそうじゃないか」とかいま思ってしまった人は、いますぐAmazonでこの本の購入ボタンを押すといい。あなたが思っているレベルではないのだ。
アメリカのあの強いメディアコングロマリットは、世界中にコンテンツビジネスを展開して莫大な利益を上げてきたハリウッドスタジオは、いまものすごい勢いでストリーミングに向かっている。それまで築き上げてきたものをかなぐり捨てて、とは言い過ぎだが、それくらいの猛スピードで走っているのだ。
それは「いよいよストリーミングの時代だな」とその部門を立ち上げてみるとか、サービスを始めているとか、そういう次元ではない。生き残りはストリーミングしかない!悲壮な覚悟で取りかかっている。劇場だとか、放送だとか、旧来のベースをうまく守りながらストリーミング"も"やってみている、という悠長なものではない。これからはストリーミングをメインに据える!その覚悟をあの巨大なハリウッドの連中が決めて方向転換しているのだ。
「日本だってそうじゃないか」と思ったあなたは、日本でも例えばHuluのようなSVODサービスが伸びているとか、TVerにキー局が大きく出資したとか、NHKが同時配信を始めたし民放も続こうとしているとか、そんなことを思い浮かべていただろう。
そんなもんじゃ遅いのだ。遅かったのだ。日本は徹底的に遅れていたし、いまも遅れているのだ。
そのことがこの本からよくわかる。だってこの1年間だけでも、ハリウッドがぐいぐい推し進めたことと日本の事業者がおっかなびっくりでようやく始めたことには5年分では足りない差がある。彼らはこの1年間でさらにずいぶん先へ進んでしまった。この1年、日本がいかにのんびりしていたか。
これは日本が進化できない国だからだが、不幸中の幸いが逆に不幸をもたらしたとも言える。コロナ禍の影響が日本は限定的なのが大きいと思う。
アメリカは特にそうだが、欧米は何万人、何十万人の単位でコロナの感染者が報告され、亡くなった人もそんな単位になっている。劇場はほぼ機能していない。劇場が稼ぎの核だったディズニーは、配信に舵を切らないわけにはいかなかった。
日本は比べてしまうとコロナの被害は圧倒的に小さい。劇場も痛手を負ったが「鬼滅の刃」が奇跡のヒットを起こして最悪の事態を食い止めた。その上、コンテンツビジネスの核が映画ではなく放送にある。家で見ることができるので、広告収入が大きく下がったもののアメリカの劇場収入の落ち込みに比べると軽傷に過ぎないとも言える。
日本ではもともと危機感が薄い人びとにゆるい被害をもたらしたコロナが、アメリカでは何かあれば大きく変化できる気質の人びとに大きな災厄をもたらし劇的な変化を強いた。コロナ禍が少なくて済んだ日本は、不幸中の幸いが逆に不幸をもたらしてしまったのだ。
ローカル局への福音「ニュースで勝負できる」
本について書くつもりが本の中身から逸れ過ぎた。日本の遅れを痛感させるこの本は、一方で大きなヒントもくれている。
第6章の「ローカルテレビニュースの復活」。このパートこそ、日本の放送業界にとって大事だと思う。福音といってもいい。
アメリカでは新聞が壊滅的な状態と言われてきた。その割に、放送業界、とくにローカル局は意外に活気があり業績もいいと聞いていた。日本の現状からするとどうにもよくわからなかったことが、この本でよくわかった。
要するに、アメリカではテレビ局もストリーミングファーストにもともと舵を切っていたしコロナ禍が拍車をかけた。放送でもネットでも見られるニュースが定着し、テレビ局を元気にしている。
CBSはその最たる存在だ。アメリカの3大ネットワークはネットニュースを立ち上げていた。CBSもCBSNというネットニュースを2014年に無料広告モデルで開始し若者の視聴を獲得して3年目で黒字化を達成。そして、こうなった。(該当部分を引用する)
"CBSNの特徴は、若者層を取り込むため、地上波放送が取り上げないテーマやニュースをより深掘りしたリメイク番組を提供していることである。そして全米主要都市への展開を進め、その拠点局から系列ローカル局のニュースを吸い上げていることだ。ボストン、シカゴ、ロサンゼルスと拠点作りを進め、現在では全米主要10都市から地域ごとのニュースをネットで提供している。新型コロナ情報も、その地域ごとの詳しい情報を提供するインターネットニュースにアクセスが集中したのである。
CBSNは地域のニュースをその地域の人が視聴できるし全米からも(海外からも)視聴できる体制を整えた。アトランタで黒人が警官に射殺された映像がBLMのうねりを引き起こしたが、これを全米に伝えたのもCBSNによるものだった。"
これらは大手ネットワークの動向だが、アメリカには商業放送を行うテレビ局が全米に山ほどある。それらがいくつかの資本にまとまりつつあり、ネットワークとは別の勢力に成長しつつあるのも見逃せない動きだ。
これらは「ステーション企業」と呼ばれネットワークの直営局ではカバーできないエリアで放送している。もちろんネットワークに加盟もするが、大きなステーション企業に所属している分、ネットワークに従属的でもないようだ。
国土の広いアメリカならではの状況ではあるが、日本でもありえない話ではないだろう。キー局の属国のようになってしまう日本のローカル局もまとまることで強い存在になるかもしれない。数%の出資しかしてないのにキー局のドンがローカル局のトップ人事を決めるなんて馬鹿げた状態を脱して、ローカル局は主体的に振る舞うべきだ。もうキー局から番組がもらえないと視聴率もCMも取れない時代ではないはず。スポットが売れないとオロオロしてるばかりではなく、ネットでエリアのためにニュースを流して若い視聴者を獲得するべき時代に入った。ストリーミングファーストはローカル局こそが謳うべきスローガンなのだ。
そんな大胆なことを言いたくなる成分がこの本には入っているように思える。放送業界の皆さん、もっと広げてコンテンツ産業に何らか関わるみなさんには良い刺激になるだろう。ぜひ読んでもらいたいし、2021年のいま、読むべきだと思う。
※この記事は「テレビとネットの横断業界誌MediaBorder」(4月6日)からの転載です。メディアコンサルタント境治氏の記事は、同誌を購読するとお読みいただけます。申し込みは下記リンクからどうぞ。